繋がり [日ごろのこと]
先日、義父が亡くなりました。
以前から病気をしていたとはいえ、急で驚きました。
亡くなる3日前に子供たちを連れて遊びに行ってました。
今年の夏休みは短いから僕の地元に行くには厳しいので、
「じゃオトン・オカンの家に行こうか」という偶然でした。
オトンはあまり会話をしない方で、僕もしゃべるのが得意ではないので、
今まで話らしい話をしてこなかったです。
でも、なぜか今回は「もっとオトンと話をしたいな」と思って、
地図とか小道具を用意して(オトンは路線バスの運転手をやっていたのだ)、
オトンと少し話をしました。ほんの少しだったですが。
会ったばかりだったから、本当に急で信じられなかったです。
オトン・オカンの家でシャボン玉遊びをしたテラ子・テラ美
元気な姿をオトンに見せれたよ。
通夜や告別式など忙しい中で、いろんなことを考えました。
人が亡くなるということ、人との繋がりのこと、人の強さのこと。
僕はオトンともっともっと話がしたかった。
「この前はあんまり話せなかったけど、これからもっと話をしていくぞー」、
と思っていたのに、もう絶対に会話することができなくなってしまった。
「人の死は全てを断ち切ってしまうのか」とすごく胸が苦しくなりました。
そう悔やんでいたけれど、
うちの母から「亡くなっても(心の中で)話をすればいいんだよ。話はできるんだよ。」
と言われたことがすごく響きました。
「ああ、そうなんだ、目の前で話をできなくても、心の中で、想って、話をすればいいんだ」と。
オトンからの返事はないけれど、話をしてみようと思ってます。
葬儀では、親類の方がたくさん来ました。
僕はオトンから見れば義理の息子なので、親類の方と会うのはこんな機会しかないです。
初めて会う人もたくさんいましたが、いろんな人が駆けつけてくれて、
こういった「人との繋がり」って素敵なことだと思いました。
普段の生活では合理的なことばかりで、人を助ける=自分を犠牲にする(損をする)、
という感覚の世で、僕は息苦しくて仕方がないです。
息苦しいくせにいつの間にかその感覚が染みついて暮らしている。
そんな矛盾をはっと気づかされてくれました。
うまく言葉にできないですけど、とにかく人の繋がりは大切だと思いましたし、
この機会はオトンがくれた機会だから大切にしたいと思ってます。
最後に、ひどく驚かされたのは、テラ子とテラ美。
3歳児と1歳児を葬儀に参列させることには悩みました。
泣きだしたら?食事は?トイレは?大声を出さないか?長時間大人しくいれるのか?・・・
悩みましたけれど、オトンのために、と通夜と告別式と全て出席させることにしました。
途中で大人しくいられなくなったら、それはそれまでということで。
心配していたのに、全然、子供たちは静かにしていてくれてました。
特に驚いたのはテラ子。
和尚さんが入ってくる時・出ていく時は起立して、手を合わせ、一礼するのですが、
何一つ教えなかったのに、テラ子はそれをちゃんとやったんです。
そしてちゃんと焼香の時も手を合わせ目をつぶりお祈りしていました。
周りの大人の行動を真似しただけかもしれません。
それでもそうやって手を合わせてくれたことが嬉しかったです。
オトンも嬉しかったのではないかな。
子供と言うのは、親が思っているより強くてしっかりしているんですね。
少し考えを改めないといけないと思いました。
もっともっといろいろ考えました、思いました。
以前の時は、ただただ無常の思いが心を占めて、でも周りを支えなきゃという思いで過ぎましたが、
今回はいろいろ考えました。きっとこれからもまだまだいろいろ考えそうです。
考えた度に心の中で話していこうと思います。
お義父さん、おつかれさまでしたね。
ゲートをくぐって次のステップに進むんだな、と
最近思います。
テラ子ちゃん、テラ美ちゃんえらいですね。
そういうのって、感じられるんでしょうね。
きっとちゃんと「感じ取れる」子たちなんでしょうね。
うん、いろいろ考えるところがありますね。
by ゆらゆらくらげ (2010-08-21 09:47)
>ゆらゆらくらげさん
ゲートをくぐって次のステップ、そうかもしれませんね。
次へ、次へ。
子供の感性はすごいですね。
雰囲気を鋭く感じ取るんでしょうね。
by テラ (2010-08-22 07:43)
ナイスは不謹慎かもしれませんが、良い記事だと思ったので付けさせていただきました。
子供は、感じる能力がすごく強いのかもしれませんね。
by チノパン (2010-08-22 22:32)
>チノパンさん
子供は親が思っているより成長しているようです。
そして、ちゃんと周りを見ていますね。
周りから感じ取ることができるんでしょうね。
by テラ (2010-08-23 22:49)